働かないでお金が入ってくる方法はないものか?
多くの人がそのように考え、その方法をあれこれと吟味する。もちろん働かないでおカネを稼ぐためには元手となるおカネが必要なわけで、六畳一間のアパートで正座して考えていればおカネがはいってくるわけではない。
そういう元手のある人のことを資産家というのだろうし、その元手であるおカネの使い方を資産運用というのであろう。よって資産運用というのは株、不動産、債権、投資信託、外貨…なんてのが出てきてこういうのを買うってのが資産運用ってことみたいだ。(というのもボクはほとんどわかっていないからだ)この手のものを買って、それがいつのまにやら買った金額より高い値段で売れる。というか高いものになっているという謳い文句なんだけど、要するにおカネが経済のさまざまな要因によって(ものすごい複雑な計算をものすごく頭のいい人たちがするのである)上下変動するその利鞘で儲けるわけである。(という風におおざっぱな理解だ。間違っているかもしれない)
しかし、いつのまにやら多くの人が資産運用に関心をもっているらしく、あたかも資産運用しないと死んでしまうかのようなフレーズも気になるし、資産運用しないと会社を退職した後とか老後とか、極貧にあえいで姥捨山的に社会から捨てられるかのような広告とかサイトとかあるわけで、影響されやすいボクとしてはかなり焦るわけである。
例えば、退職後貯金がいくらあって、年金がいくらいくらもらえて夫婦ふたりで年間いくらかかるとして、それぞれ夫婦ふたりで85歳まで生きるとして…云々。さらにその間に貯めておいたおカネがあったとしてもインフレが長引いてその価値がなくなったりした場合…とか。
まったく恐怖を煽っているとしかいいようがない。これじゃあ資産運用しないわけにはいかない。なぜなら誰もそんな恐怖を歳とってから味わいたくないわけだ。(あたりまえだ)
それにしても、これだけ高度に発達した社会にあって、定年後に生きていけないほどの恐怖を感じないといけない社会ってのは何だろう?それ以上にそんなに将来に不安を持たねばならない社会って…と考えてしまう。
前に、100年前に建てられた家はまだ使えるのに30年前のマンションは使えないというのはどういうことだ?と書いたことがある。その間の恐るべきテクノロジーの進歩があるにもかかわらず…である。それと同じように人が快適に生きていく仕組みをこれまで長い時間かけて考えて、実践してきたにもかかわらず、なぜにこんなに不安になるのかがわからんわけだ。
まあ、資本主義というシステムがむき出しになればなるほど(そのようにむき出しになるように資本主義は展開しているのだろうけど…)人を幸福にはしないような気がする。表向き資本主義は幸せな絵を描いて近寄ってくるのだけど、そこには確実に勝ち負けがあって、その本質がむき出しになればなるほど、多くの敗者を出すことになるのではないだろうか?
なんとかファンドの村上某が以前テレビで「ボクは普通じゃあないくらい儲けました。金儲けて何が悪いんですか?」といっていたが、何が悪いって、その時アンタは勝ったけど、多くの負けた人を出したのが悪い!という話にはならないものなのだろうか?パスカル読め。
ま、そんなこと知るかと言われそうだけど…。
負けてしまう人も負けるとわかっていて、資産運用なんてものに参加せざるを得なくなる社会はちょっと嫌だなぁ…と負けそうなボクは思うのである。
久しぶりですなぁ。
色々話したい事もあるけど、
春は気が浮つき易いというか
何というか、、、、、。
あぁ、また何か用事作って
東京歩きをしに行きたいねぇ。
投稿情報: とみ | 2008年4 月 2日 (水) 00時17分