夏に撮影した花火。現像出すのを忘れていたフィルムの中にあった。
デジタルカメラはすぐに「画像」を確認できることが長所であるのだけど
フィルムで撮影するとすぐに見ることができない。これを短所と考えるか逆にその「待ち時間」を「お楽しみは後で…」という風に時間を考えて長所ととらえるか?(まあ、あんまりこういう酔狂な人はいない)
とはいえ、花火の写真を眺めながら、忘れられていた時間がふっと蘇ってくるのを感じたのだ。写真なんかは視覚的なものだからそれを見れば、すぐに過去の忘れていた時間を思い出すことができる。だけど、直接的だ。
でも、前にも書いたかも知れないのだけど、ある「匂い」を感じたときに一気に時間を遡ってある記憶と結びつくという経験はないだろうか?
1991年ボクは初めての海外でパリに行った。パリの匂いがある。どこの街にも匂いはあるのだろうけど、ボクにとってパリの匂いは特別なものだ。青春時代のいろんな記憶と結びついている。10年以上過ぎた今となってもパリの匂いをふっと東京の街中で感じることがある。不思議なことにアジアの都市を回るとパリの匂いを感じることがあって、そのことを現地の人に言ったところ笑われた。
ボクにとってパリの匂いの源泉がなんであるかは問題ではなかったのだけど何度もアジアで感じた「パリの匂い」のせいでそれがなんであるかが薄々わかってきてしまったのだ。それは排気ガスの匂い。なぜか東京ではあまりしない。これだけクルマが走っているにもかかわらずだ。ひょっとしたらボクの勘違いなのかもしれないのだけど、排気ガスが石畳と石作りの壁とで化学変化を起こしてパリの匂いになっているのでは?いやそれだとアジアは別に石畳ではないぞ?古い建物の匂いと排気ガスの匂いが混ざったものなのか?とか。
もちろん匂いなので、ここでどう文字で表現しようとしても無理だ。ボクだけにしかわからない憧れのパリの匂いがあるのである。
遠くなってしまったと思っている過去も、はかなく一瞬の花火や匂いをふと感じることで現在と結びついているわけで、裏返せばその時の匂いや花火は未来に通じる糸口をその瞬間に与えたと考えられなくもない。
現在の一瞬を切りとるという写真を撮るオモシロさもなんだかそんな風に考えている。
現像忘れていた夏の写真…























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