慌ただしく時は過ぎる。
四十九日の法要が済んだかと思えば、東京に戻って慌ただしく仕事に追われ、それによって日常を取り戻すことに成功したのかしないのか?親父のことが頭からまだ離れないにしても、以前と同じ東京での生活が続いている。
母を東京に呼んだ。いきなりひとりになってしまったわけで、孤独に陥るのではないか?と考えたからだ。実際にはこちらに移り住ませることも考えたが、なにせ見知らぬ土地だ。老人がいきなりやってきて友達もいない場所で暮らすことを望むはずもなく、二日ほどで、もう予定が入っているとか言って帰って行った。
本当のところは、母が側にいることで、僕自身の父がいなくなった不安とかそういうものを共有できる相手として母にいて欲しかったというのが本音だ。
実家に戻った母は近所の仲間と積極的に会うようにしているみたいだし、親父の墓に行って掃除したり、電話で話す限り忙しくして、意識的になんとかこれからの人生のペースを作ろうとしているように感じる。
そんなわけで、家族それぞれが新しい時間にそれぞれのペースを作ろうと動き出しているのが今の状況だ。
調和を持った形が、なにかが欠けたとき、別のもので補ってまた新たな調和を作り出そうとする。親父が生きていた時と死んでからの時はなんらかわらず、日常の時間は変わらず過ぎていくのだけど、生きている僕たちの生活は新しいステージに入るために、別の調和の形を模索しているようなそんな感じだ。
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